サルデーニャ島最古の教会の一つであるノストラシニョーラ・ディ・メズムンドゥ教会 Nostra Signora di Mesumundu は、サルデーニャ島北部のシリゴ Siligo という小さな村のさらにはずれにひっそりとたたずむ。ローマ時代のテルメ跡に建つ、6世紀に起源をもつ古い教会でありながら、観光地からほど遠く、知る人ぞ知る教会である。
サンタマリア・メズムンドゥ教会については、長い間、学者たちがその名前をめぐって議論を交わしてきた。
初期キリスト教徒たちは、しばしばエルサレムのことを Medius Mundus(ラテン語で”世界の中心”という意味)と呼んでいた。キリストが復活した地をキリスト教における世界の中心であるとみなしたからだ。4世紀にローマ帝国皇帝コスタンティヌスによってエルサレムに聖墳墓教会が建設されてから、エルサレムはキリスト教徒にとって最も重要な巡礼の地の一つとなっている。
ビザンティン時代に遡る、世界の中心というミステリアスな名前を持つノストラシニョーラ・ディ・メズムンドゥ教会は、実際には2つの名前で呼ばれていて、サンタマリア・ディ・ブバリス教会 Santa Maria di Bubalisとも呼ばれている。
ローマ時代にテルメがあったほど水源に恵まれている場所柄、牛などが水を飲むための水源もあったため、Bubalis は、牧草地を意味するPubulosに由来するのだはないかと考えられている。。
11世紀には、ノストラシニョーラ・ディ・メズムンドゥ教会は、モンテカッシーノのベネディクト会の所有となる。これは1065年にトーレス王国のジューディチェ、バリソーネ1世が、モンテカッシーノの修道士たちをサルデーニャへ派遣するように要請したことによる。ノストラシニョーラ・メズムンドゥ教会の他に、モンテサント教会 La chiesa di Monte Santo とともにベネディクト会へ寄贈された。
その際に、もともとあった南と西の空間に、東に後陣、北にさらなる空間が増設された。教会の最も古い部分は、レンガと切り石を交互に重ねていく opus listatum と呼ばれる技法で建てられている。メズムンドゥ教会は、切り石には黒い玄武岩が用いられている。
内部は一般に開放されていないので見ることはできなかったが、テルメの設備の跡が遺されているそうだ。
テルメの水で病気が治るなど水にまつわる信仰に使われたのではないかとも考えられている。
ビザンティン時代の6世紀に遡るサルデーニャの世界の中心という名前を持つ教会のクーポラのある円柱状の建物は霊廟を表し、聖墳墓教会を模したのではないかと言われている。中世には、西洋中で聖墳墓教会を模した教会が建てられた。
中世の時代、改悛者は、エルサレムへ巡礼し、罪の許しを得たかったが、エルサレムまで行くのには多大な危険を伴い、そして何よりも遠すぎたため、聖墳墓教会を模した教会へ赴くことで贖宥を得ようとした。サルデーニャの世界の中心教会もその役割を果たしていたのかもしれない。