サルデーニャ島内陸部、独特の仮面で有名な マモイアーダ村の聖アントニオ・アバーテの火祭りに行ってきました。1月17日の聖アントニオの日、マモイアーダ村では、sa prima issida (イタリア語では、la prima uscita)と呼ばれる新年が明けてから初めて、マムトーネスとイソハドレスが皆の前に現れる日。村のあちらこちらに準備された誓願のたき火をマムトーネスとイッソアドレスが巡っていき、独特のダンスをします。たき火の数は年によって違うといいます。2024年は32のたき火が村のあちらこちらで焚かれていました。前日の夜には、教区司祭が教区教会の火に祝福を与え、そこからとった燃え木で、村中のたき火に火をつけ、祭りの始まりとなります。
キリスト教と古代からの風習が溶け合った不思議な祭りは多くの人々を惹きつけ、冬の平日にもかかわらず、小さな村にはたくさんの人がこの独特の儀式を見るためにやってきます。見るというよりも、体験すると言ったほうが適切かもしれません。カンパバッチの音、独特のリズム、マムトーネスとイソハドレスの動きを感嘆と恐れと歓喜の混ざった気持ちで見守る人々の熱気。そして、仮面をとったマムトーネスとイソハドレスの穏やかだが誇りに満ちた表情。神聖な火の前でたき火を囲んだ人々が今年の何事かを願う気持ちが一体となります。
たき火の周りでのダンスが終わると、ワインやお菓子が振舞われます。お菓子は、サフランが入った少し甘いパンのようなCoccone、クルミや干しブドウ、モストが入ったSu Popassinu Nighedduなど、この聖アントニオ・アバーテの火祭りの日のためのお菓子をマモイアーダ村の人々が手作りしたものです。
聖アントニオ・アバーテの火祭りは、古くから続く儀式のような祭り。イタリアのカレンダーには、365日、すべての日に聖人がおり、1月17日は、聖アントニオ・アバーテの日。
伝説によると、人は太古の昔は火の存在をしらなかったため、寒さの中で生きていた。哀れに思った聖アントニオは、彼の豚と、フェルラ(ferula)の木の杖を持って地獄へ行った。地獄の入り口にはルチーフェロと悪魔が、聖アントニオが地獄へ入るのをふさいだが、豚はサタンたちの間をすり抜けることができた。そのため、サタンたちは聖アントニオに豚をつかまえるために地獄へ入ることを許し、この騒動に乗じて、聖アントニオはフェルラの杖を火に近づけ、地上に火を持ち帰った。
フェルラはサルデーニャではちょっと山道へ入ると自生しています。火に近づけると内部から先に燃える特性がある。そのため、聖アントニオが地上に戻って杖を一吹きすると地上に火をほとばさせることができたといいます。
また、聖アントニオのシンボルは、豚。教会で豚が横にいる聖人の像や絵があれば、それは、大抵、聖アントニオ。そのため、聖アントニオは、農業とも結びつき、聖人に1年の豊作を祈願する意味合いもある。
また、イタリア語でフゥォコ・ディ・サンタントニオとは、皮膚病の帯状疱疹の意味もあります。聖アントニオ・アバーテに祈ることによって、この帯状疱疹を治癒するとも言われているからなのだそうです。
サルデーニャの方言、サルド語では、Sant’Antoni de su fogu (イタリア語ではSant’Antonio del fuoco)と呼ばれる祭りは、マモイアーダ村だけではなく、1月16日の夜から17日にかけて、サルデーニャのいくつかの村でも行われ、それぞれの村々の伝統に従って、村ごとに違った様相を見せますが、大きな焚き木をすることは共通。火には、浄化作用がある。古いものを新しいものに変えるという新年を表す意味もあるのではないかとも思われます。
地獄から火を盗んだという言い伝えのある聖アントニオ・アバーテのキリスト教の信仰とマモイアーダ村に古代からある伝統が混ざった、不思議な、でも一度は体験して頂きたいお祭りです。