カリアリ、マリーナ地区。トラットリアやレストランやバールが道にも席を拡げ、たくさんの人々がアペリティーヴォや食事をしたりして賑わう場所に、不思議な教会がある。正確に言うと教会は一見するとごくふつうの歴史ある教会なのだが、教会の地下のクリプタがとても奇妙で恐ろしい。怖い話は苦手なのだが、このようなかわったクリプタはサルデーニャにはクリプタ・ディ・サン・セポルクロの他には存在しないと思う。
教会は、1564年に創設されたコンフラテルニタ、祈祷と死の聖十字架信心会 la confraternita del Santissimo Crocifisso dell’Orazione e della Morte の活動拠点がサン・セポルクロ教会であったため、16世紀頃に設立されたものと考えられている。その後、何度かの改築を重ねる。教会の設立はテンプル騎士団の礼拝所に由来するという説もあるが確かではない。
この信者会は第二次世界大戦頃まで続いた信心会で、貧しい人々の埋葬を主な活動としていた。埋葬場所は、19世紀まではサン・セポルクロ教会内やその周辺(現在のサント・セポルクロ広場)であった。
20世紀になると、マリーナ地区の教区教会、聖エウラリア教会の修復などの際に、サン・セポルクロ教会はしばしば教区教会の役割も果たした。
第二次世界大戦後、第二次世界大戦の爆撃で、修道院が破壊されてしまったカルメル会の修道士を受け入れた時期もあった。
1988年からの修復の際の1992年に地下のクリプタが発見された。
1992年の教会の修復の際に、教会の下に多くの人骨とともにクリプタがあることが発見された。このクリプタは17世紀頃に前からあった洞石灰岩の洞窟を掘ってつくられたとされ、教会入口からすぐの揚げ戸の階段を降りてクリプタに入ることができる。クリプタの空間は3つに分かれており、中心部分のクリプタの壁は18世紀の初めころに装飾されたと考えられているテンペラ画法で黒く塗られていて、不吉なカーテンで覆われている。半円筒形天井にはアーミンの毛皮をまとった王のような衣装を着た死者が描かれていて、その右手に持った鎌には、Nemini parco (non risparmio nessuno) “誰も逃れられない” と書かれている。つまり、死は全ての人に平等におとずれ、誰かも死から逃れることはできないことを暗示している。また、左手には次々に去っていく時間を意味する砂時計を持っている。
さらに、2000年6月の修復の際には、4世紀の終わり頃のものとされる洗礼盤も発見された。洗礼盤は円形で深さ1メートル、3段の階段を降りて入れるようになっている。この発見から、おそらく初期キリスト教会がこの場所にあったのではないかと考えられているが現在のところなにも跡は見つかっていない。
教会の外側には隠れたように、聖アントニオ教会へつながるポルティコがあるが、そこにも扉がある。扉のアーチの下には頭蓋骨とクロスする脛骨の表象がある。これは、祈祷と死の聖十字架信心会のシンボルだった。
大理石の洗面台。やはりここにも、コンフラテルニタのシンボルがある。また碑文には、ジェノヴァ出身の商人ジョヴァンニ・バッティスタ・アスクエールが1640年に騎士の称号を授与されたことを記念して1649年につくられたことが刻まれている。
教会前の広場は、19世紀の終わりまで、1583年8月28日に正式な墓地として認められた埋葬場所であった。
2001年には、2世紀のものと推定される長さ1.6メートル、幅70cm、深さ90cm のヴァスカも発見されている。一緒に発見された陶器などから異教の信仰の場所だったのではないかと推測されている。
カリアリの町の地下には、この他にもたくさんの歴史が詰まった場所がある。地下なので、ジメジメして怖い場所も多くあるのだが、何百年も前の人々がこのようなものをつくったということに驚きを隠せない。