サルデーニャ島で最も古い初期キリスト教会のひとつであるバジリカ・ディ・サン・サトゥルニーノ。最初の教会の建設は6世紀半ばから7世紀の初めと推定されており、ギリシャ十字の形で、十字が交差した上の部分にクーポラがあり、内部は3身廊だった。304年に殉教した聖サトゥルニーノの埋葬地の上に建てられたと考えられている。カリアリの町の東にあり、当時は、町から外れた場所だった。
聖サトゥルニーノはディオクレティアヌス帝のキリスト教徒迫害の時代の304年に殉教したカリアリ出身の聖人で、サルデーニャ州の州都カリアリの守護聖人。
殉教した年齢は、1621年に発見された石棺に書かれている18才5か月と8日という説の他に19才5か月と8日とも推定されている。どちらにせよ若くして亡くなったことになる。
第二次世界大戦の爆撃で大きな被害を受けたが、それでもなお、このどっしりとした朴訥な教会に圧倒されるような魅力を感じる。
長い歴史をもつ教会のため、多くの改築を重ねられているが、6世紀から7世紀頃の一番最初の建築は、半球ドームのあるギリシャ十字聖堂で、現在のこっているのは中心部分と後陣部分。
6世紀初めに北アフリカからカリアリへ亡命してきたフルジェンチオ・ディ・ルスぺ司教は、カリアリの司教ブルマシオの許可を得て、聖サトゥルニーノの埋葬地に修道院をつくったとされている。6世紀の初め、もしかすると5世紀には、サン・サトゥルニーノの名前を冠した建物があったと考えられているが、それが、地下聖堂なのか建物なのかはわかっていない。
1089年にカリアリのジューディチェ、コスタンティーノ2世は、バジリカをマルシリアのビットリーニ修道会に寄贈する。修道士たちは初期ロマネスク式教会の様式へ改築し、ヴィットリーニ修道会のサルデーニャでの本拠地とした。改築にあたったのは、プロヴァンスの職人たちで、中央のクーポラはそのままとし、4つの翼部を再築した。東の翼部はオリジナル。サン・ヴィットーレ・ディ・マルシリアの修道士たちは、多くのスポリオと呼ばれる以前にあったもの、柱や柱頭、石碑などを用いて改築した。教会は、ラテン十字形となる。
また、修道会はマルセイユでも多くの塩田を持っていたため、モレンタルジュスでの塩の生産を行った。
1300年代半ばにカタロニア人の侵略で、修道院は大きな被害を受ける。サン・ミケーレ城の建設のために、副王ベレンガーリオ・カロッズによって修道院は取り壊された。
1400年代半ばには、カリアリ大司教管区となり、1484年頃に修復されたが、アルボレアとカタラー二の戦争などで、16世紀半ばまで廃墟となる。1600年代初期のコルピ・サンティと呼ばれる聖人の遺骸探しでは多くの墓が見つかった。1669年には、カリアリの大聖堂の改築のために、多くの資材がバジリカから持ち去られた。1714年に、医師と薬剤の信徒会へ譲渡され、聖コズマと聖ダミアーノを守護聖人とした。第二次世界大戦中の1943年に爆撃を受け、1978年には一旦閉じられ、その後1996年から教会として様々な儀式に用いられている。
教会はネクロポリの上に建てられているため、周囲はローマ時代からの埋葬地であり、様々な形の墓がある。聖サトゥルニーノが埋葬されていた場所であると推定されているところも見学することができる。
1600年代初期にカリアリの大司教フランシスコ・デスクイヴェルの指示による聖人の遺骸発掘の際に、発見された聖サトゥルニーノの亡骸はカリアリの大聖堂のクリプタの聖サトゥルニーノの礼拝堂に埋葬されている。