サルデーニャ島の遺跡、教会、祭り

ノストラ・シニョーラ・ディ・メズムンドゥ教会

サルデーニャ島最古の教会の一つであるノストラシニョーラ・ディ・メズムンドゥ教会 Nostra Signora di Mesumundu は、サルデーニャ島北部のシリゴ Siligo という小さな村のさらにはずれにひっそりとたたずむ。ローマ時代のテルメ跡に建つ、6世紀に起源をもつ古い教会でありながら、観光地からほど遠く、知る人ぞ知る教会である。
サルデーニャ島の遺跡、教会、祭り

サン・ガヴィーノ伝説とバジリカ・ディ・サン・ガヴィーノ

サルデーニャ島最大のロマネスク教会である、バジリカ・ディ・サン・ガヴィーノのことを書く前に、まず、サン・ガヴィーノというサルデーニャでとても親しまれている聖人について書きたいと思う。ガヴィーノという名前の人に出会ったら、その人はサルデーニャ人だと思って間違いない。
サルデーニャ島の歴史

中世のサルデーニャ島 サルデーニャ島の歴史④

今回はサルデーニャ島の中世の歴史についてです。サルデーニャ島の中世は、およそ千年間続きました。455年にゲルマン民族のヴァンダル人が侵略した時から15世紀半ばのアラゴンがアルボレア王国を滅ぼし、サルデーニャ島全体を支配し始めたときまでのおよそ千年間を指します。
サルデーニャ島の遺跡、教会、祭り

【公認ガイドが選ぶ】イタリア・サルデーニャ島おすすめヌラーゲ6選

イタリア・サルデーニャ島の遺跡といえばヌラーゲ。おすすめヌラーゲを6つ、ご紹介いたします。世界中でもヌラーゲがあるのはサルデーニャ島だけなので、サルデーニャ島を訪れたら是非、1つでもヌラーゲを見学されることを強くおすすめいたします。
サルデーニャ島の歴史

フェニキア人、カルタゴ人、ローマ人 サルデーニャ島の歴史③

サルデーニャ島の歴史③では、紀元前1000年頃から紀元455年までのサルデーニャ島の歴史について書こうと思います。遠い国々からやってきて、私たちの島を支配した民族。最初は敵であったカルタゴ人やローマ人とサルデーニャ人は次第に混ざり、一つの民族を作った。この混合がサルデーニャの魅力でもあるのです。
サルデーニャ島の歴史

ヌラーゲ文明 サルデーニャ島の歴史②

ヌラーゲ文明は、サルデーニャ島中で習慣、伝統、建築物、宗教儀式が同じで、ヌラーゲやモンテプラマの巨像に見られるように、高い文化水準をもち、豊かであったと推測されています。ヌラーゲ文明はおよそ1000年間も続いたのです。現在の統一されたイタリアが150年ちょっとの歴史しかないことを考えてみると、サルデーニャ人の奥底に秘められているDNAは、ヌラーゲ文明に基があるように思えてなりません。ヌラーゲ文明を知ることは、サルデーニャ人を理解する手助けになると思うのです。
サルデーニャ島への行き方

サルデーニャ島への行き方

イタリア・サルデーニャ島にはカリアリ空港、アルゲーロ空港、オルビア空港の3つの国際空港があり、ローマ、ミラノ、ロンドン、パリ、フランクフルトなどヨーロッパ主要都市から直行便が運航しています。また、サルデーニャ島の3つの各空港は、ローマ・フィウミッチーノ空港とミラノ・リナーテ空港間を1日3~4便運航しています。
サルデーニャ島の歴史

ヌラーゲ文明以前のサルデーニャ先史時代 サルデーニャ島の歴史①

紀元前6000年から紀元前1600年のヌラーゲ文明以前のサルデーニャ先史時代について書きたいと思います。デアマードレ、ドームスデヤーナス、メンヒル、ドルメン、モンテダッコーディについての説明
サルデーニャ島の遺跡、教会、祭り

サルデーニャとは

地中海の真ん中に浮かぶサルデーニャ島は、イタリア20州のうちのひとつであるサルデーニャ州全体を指します。面積はおよそ24000平方キロメートル。四国のおよそ1.3倍の面積です。人口は約165万人。気候は地中海性気候。夏は乾燥して暑く、冬は雨がちです。
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