サルデーニャ島内陸部の町ヌオロを夜中の11時頃出発して、明け方までおよそ30kmの道のりを歩くというサン・フランチェスコ・ディ・ルーラの巡礼に参加しました。参加の理由は、巡礼ハイキングに興味があったこと、そして、夜通し歩くという体験をしてみたかったからです。さらには、このような夜中の巡礼とサルデーニャ島の人々がどのように向き合っているのかということにも大変興味がありました。
サン・フランチェスコ・ディ・ルーラ教会とその伝説
サルデーニャ島東部にある小さな村ルーラ。そのルーラ村から3kmほどのところに、サン・フランチェスコ・ディ・ルーラという巡礼地があります。
16世紀に起源をもつと推測されている教会は、1795年に増改築されて、現在の姿となりました。周囲には、クンベッシアス cumbessìas と呼ばれる巡礼者を受け入れる宿泊所がぐるりと囲んでいます。このサン・フランチェスコの巡礼の日の後、ノヴェーナという9日間の祈りの期間があり、クンベッシアス(または、ムリステネスとも呼ばれる)に寝泊まりして、祈りと祭りに参列する人もいます。この日も、宿泊している人々を何人かみかけました。
また、サン・フランチェスコ・ディ・ルーラ教会は、殺人の濡れ衣を着せられたひとりの追放者によって建てられたという伝説も残されています。この追放者は、その無実の罪のため山の中での逃亡生活を余儀なくされていました。そして、無実が言い渡された時に、そのお礼に教会を建てることを決心します。逃亡生活をしていた洞窟のある方に建てる予定だったのですが、牛車で建築資材を運ぶ途中のある場所で、牛はとまり、びくともしなくなくなりました。そこで、これは、サン・フランチェスコから、この場所へ教会を建てなさいというメッセージだと受け止め、この地に教会を建てたと言い伝えられています。
夜中の巡礼
毎年5月1日と10月4日の年に2回、その巡礼地を目指して、サルデーニャ島内陸部の町、ヌオロから徒歩で巡礼をする行事があります。この巡礼の特殊なところは、夜中におよそ30kmの道のりを徒歩であるくというもの。ヌオロを夜中の11時頃出発し、明け方にルーラに到着します。
5月1日のスタート地点は、ヌオロにある、サン・ロザリオ教会なのですが、帰りの車を確保するため、私の車は、ルーラのサン・フランチェスコ教会へ置いて、他のハイキング仲間との時間調節から、最初のクローチェ(十字架)で他の仲間を待ち、出発しました。
巡礼の行程途中に何か所が十字架がありますが、そこに着くと、多くの人は、十字架を撫ぜたり、十字架に触れたりします。十字を切って短い祈りを捧げる人もいます。イタリア人は、聖なるものや尊いものには兎に角、軽く触れます。カトリックは、触れる文化なのだと、ここでも気づかされました。
街灯などはもちろんなく、晴れて、星が降るようにいっぱいの空でしたが、新月の夜だったためもあり、真っ暗闇。ヘッドライトや懐中電灯で足元を照らしながら歩きます。
最初は、アスファルトの道でしかも下り坂だから、真っ暗なのを除いたら、簡単、やっぱり巡礼だしトレッキングではないし、トレッキングの難易度は、初級から中級の間と書かれていたしと思っていたのもつかの間。最初の休憩所から、未舗装道路、そして、山道へと入っていくと、上り坂だったのもあり息が切れます。真っ暗闇の中、懐中電灯やヘッドライトの明かりだけを頼りに、やや険しい山道を歩くのは、かなり注意が必要です。羊の群れも見え、羊の番犬がさかんに吠えている声も聞こえ、ちゃんと柵は閉まっているよねーと仲間と少し心配しあいました。道順を示すための赤と白のテープが、ところどころにあったのですが、そして何度も、この巡礼の道を歩いたという人と一緒だったのですが、2回ほど私たちは道に迷いました。それくらい真っ暗闇だったのです。
風もなく、満天の星空。夜中だし、行程は標高が500メートル前後と高いため、厚手のアウトドアジャケットを着ていったのですが、歩くうちにすぐに汗をかき、リュックにしまい込むことになったのは、服装選びの失敗でした。しかし、アスファルトの道も多いしそんなに難しくないコースだと聞いていたけれども、しっかりとしたトレッキングシューズを履いて行ったのは正解。あとで聞いたのですが、今年は、例年より距離を短くしたけれども、やや難しいコースとしたそうです。
自分で希望して参加しているとはいえ、なぜ、こんなところを夜中に歩いているのだろうという考えが何度か頭をよぎりましたが、そんな思いを押しのけるように、仲間からはぐれないように歩を進めるだけで精一杯でした。なぜか、小学校の林間学校で箱根の山を登ったことを思い出しました。運動やアウトドアが苦手な子供で、林間学校が初めての登山で未知な体験。夜中の山歩きは初めての体験なので、未知なことからくる思いが重なったのだと思います。
参加者は数百人はいたでしょうか。意外にも、軽装で、軽やかに歩く10代から20代くらいの女の子たちも結構いました。
行程の途中に、数か所、休息所が設けられていました。そこでは、温かいコーヒーや紅茶、ワインのほか、ヴォヴと呼ばれる卵と牛乳が入っている甘いリキュールもふるまわれました。
休息所では、火がたかれ、暖をとったり、そして唯一の明かりなので、自然と人が集まります。
真っ暗な山の中、もし、この山道で怪我をしても、助けに来るのは大変なことだと思ったので、一歩一歩、滑ったりしないようにしっかりと歩きました。(山道が終わり、アスファルトの道を出たところに救急車が待機していましたが。)
やっと、アスファルトの道へ出てほっとしたのですが、しかし、山道を歩いた後、アスファルトの道を歩くのは、思いのほかつらいと、参加者同士で語り合いました。土の上のほうが適度なクッションがあり、足に負担を感じなかったのです。しかも、夜中なので、眠さもおしよせてきます。
アスファルトの道を歩いている間に夜が明けて明るくなってきました。そして、朝の6時15分。やっとやっと、サントゥアリオ(巡礼地)が見えてきました。
巡礼地の門では、ようこそ、とにこやかに二人の女の子が迎えてくれました。6時30分。無事に巡礼地へ到着したことに安堵と感謝の気持ちが入り混じります。
聖フランチェスコの像のある広場からは、石灰岩の真っ白な Monte Corrasi も見え、早朝の爽やかな美しい景色が、今までの真っ暗な闇と対照をなし不思議な気持ちでした。
そして、皆、朝ごはんに向かいます。巡礼者のための朝食が準備されているのです。
イタリアの朝食は甘い朝ごはん。コーヒーと信者たちによる手作りのビスケットやドーナッツが振舞われました。一応、スナックやサンドイッチは持参していたのですが、食べなかったため、こんなにお腹がすいたことは近年なかったというほどお腹はペコペコ。大きなビスケットの素朴な味わいに、すっかりお腹とそして心も満たされました。
神の糸と呼ばれるサルデーニャ島の幻のパスタ、フィリンデウ
そして、ミサのあとには、フィリンデウが提供されると聞いていたので、朝食後、広場で少し、フィリンデウを待ちました。神の糸を意味するフィリンデウというサルデーニャ島内陸部の伝統パスタは、作れる人がサルデーニャ島で十人にも満たないと言われている、幻の希少なパスタ。伝統的なフィリンデウのレシピは、羊肉からとったスープに、乾燥させたフィリンデウを浮かべ、たっぷりのペコリーノサルドチーズをからめて頂きます。
ここで食したフィリンデウは、今まで何度が食べたことのある上品なフィレンデウとは全く違った味でした。羊の肉からとった力強いスープとペコリーノサルドチーズたっぷりの荒々しい、これが昔ながらの本当のフィリンデウの真髄なんだと本能に訴える味でした。
その後、家に帰ってからシャワーを浴び、午後中、寝てしまうというほどくたくたでした。山歩きや巡礼は、昼間の方が良いというのが正直な感想ですが、でも、貴重な体験ができたことをとてもありがたく嬉しく思います。
このような巡礼は、熱心なカトリック信者だけが参加するものなのか、というとそんなことはありません。歩きながら、なぜ、この夜中の巡礼に参加したのかを聞いたり、聞かれたりしました。多くのサルデーニャの人々は、巡礼も夜に歩くのも初めての体験で、その体験をしてみたかった、と私を同じような動機でした。また、イタリア人のほとんどは、カトリック教徒なのですが、これは、両親が生後数か月の時に、洗礼を授け、自分の意思とは関係なくカトリック教徒となっているからです。でも、その後、大きくなってから、カトリックへの信仰があるかどうかは、様々です。そのため、イタリア人と信仰に関して話すときに、あなたは、クレデンテ credente(カトリックへの信仰を持っている) かと聞かれたり、カトリックだけれども、クレデンテではないと言うイタリア人もいます。多くのイタリア人は、カトリック教会に囲まれで育ち、生活していますから、その中での自分と教会とのかかわり方のようなものを持っているように思います。そして、巡礼をどうとらえるかも、その中に入っていると思います。